源 顕家 公(北畠顕家さん)戦死の地

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            北畠顕家保存会への質問・御感想に関する項目

 ◎ 此処ではご意見・ご感想・質問・お問い合わせ等をお受け致しております。御返事には数日を要する事も有りますのでご了承をお願いします。

◎ 尚、北畠顕家保存会も発足して4年少々と、少ない経験ですが少しでも皆さんのお役に立てれる様にしたいと思いますので御協力と御支援をよろしくお願いします。
◎そして会員の募集も随時しております、そして少しでも興味のある方は御協力をよろしくお願いします。

  北畠顕家・南部師行公没後六百年祭に関して(昭和12年6月27日)

◎北畠顕家没後六百年祭の開催に尽力して頂いた南部日實男爵等の働きにより石津に於いて開催されました。

◎かなりの参列者が列席され其の中には南部日實男爵氏を始め身延山からは望月大僧正や府下寺院(日蓮宗)から僧侶達も来られていました。

◎新聞記事には供養祭が盛大に執り行われ地元では屋台等も出たり花火も打ち上げられたりとか大勢の人が賑わいを見せていた等の記事が記載されていました。

◎北畠顕家公没後六百年祭に関しては、堺市の図書館の方へ足を運び当時の供養祭に関しての資料等が残されていないか調べました所、デジタル化された当時の新聞記事が、有ると判明し図書館の方に頼みました所コピーを取る事が出来ました。

◎昭和12年6月28日付けの朝日新聞の5面の田植えの画像の下に彌增す盡忠の香り、南朝の大忠臣顕家卿らを偲ひ、盛大なる六百年祭を執り行う。

◎尚、此の新聞記事は北畠顕家公の供養碑の横にポストを設けておりますのでご自由にお取り下さいと云う文を書きおります。

◎当時の供養祭に関しての資料が、地元には反映出来ず余りにも少なく石碑文から身延山久遠寺の事が判明し、資料の送付等をお頼みして保存会に送付して頂けれるように致しました。

◎資料が保存会に届き早速拝見した所、私個人的では其の文面を読む事が余り出来ませんので保存会の役員にお願いて判る範囲内で色々な方々が石津へ足を運んで頂き、此の供養祭を盛大に執り行われた事などが解りました。

※これからも北畠顕家公と南部師行公供養塔保存会を応援の程よろしくお願いします。



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